アジア最大級の記録映画の祭典「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の出品作を紹介する特別上映「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2008」が、11月14日まで東京都内で開かれた。「映画の森」では同上映の特別企画「中国★紀録電影(ドキュメンタリー)の20年」に焦点をあて、現在注目される中国のドキュメンタリー映画監督のインタビューを掲載する。第1回は03年に「鉄西区」、07年に「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」で2度にわたり最高賞を獲得した王兵(ワン・ビン)監督。ワン監督は「人間の経験や考えを伝えることが、歴史を伝えることだ」と話した。
中国では1990年代、独自の視点で人々を見つめる独立系(インディペンデント)ドキュメンタリー映画が生まれた。山形国際ドキュメンタリー映画祭にはここ数年、毎回100本以上の作品が寄せられている。日本ではあまり知られていない中国ドキュメンタリー映画の魅力を、監督たちの声を通して紹介したい。
「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」は、1950年以降に起きた反右派闘争や文化大革命の粛正で迫害を受けた女性・和鳳鳴(ホー・フォンミン)が主人公だ。急激な経済成長を受けて人々の関心が未来へ向かう中、彼女は過去と向き合い、自らの人生を1冊の本に書き上げた。ワン・ビン監督は、小さなアパートの一室で彼女と会い、74年に名誉回復するまでの約30年を語る様子を、ひたすらカメラで追う。スタイルは非常にシンプルで、固定カメラでの撮影が大半を占める。よどむことない彼女の語りは、部屋に差し込む日の光が消えても止まらない。観る者はやがて、女性の人生が目の前に広がる瞬間を味わうだろう――。
「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」の王兵(ワン・ビン)監督=2007年10月5日、佐藤寛朗撮影
ワン・ビン監督との主なやり取りは次の通り。
──製作のきっかけは。
ブリュッセルの美術館から要請を受け、短時間で製作した。鳳鳴さんのような経験の持ち主は何十万といる。数十年後の今、彼女のように経験に向き合う勇気を持ち、人に伝えようとする人は少ない。(瀋陽の国営工場地帯をテーマにした)前作の「鉄西区」製作中は、自分の周りの人間は同年代で若く、自分も芸術家、知識人として先鋭的なことをやっている……と自負していた。しかし鳳鳴さんの人生の見方、スケール、物を考える深さと広さと出会い、自分はとても小さいと感じた。
90年代から今までを顧みる時、中国の文化に真なる意味で貢献した人は、私たち知識人や文化人ではなく、彼女のような人たちだと理解されるだろう。彼らはプロの作家ではなく、書き方も上手ではない。しかし彼らは自らの経験を書きとめて他人に伝えるだけではなく、中国の歴史と未来について考えている。地域や国への文化的な貢献において、文化人の仕事より重要だと思う。
中華人民共和国が建国された49年から今までの数十年は、中国史の中でも前例のない時期。この間に起きたことは、国や地域に対して深い意味と影響を持っている。彼女のような人々が数十年間見てきたこと、経験してきたことを、他の人々に教えることで、私たちはよりリアルで客観的な情報を得ることができる。
「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」
──カメラはほとんどの時間、鳳鳴さんに向けられて動かない。なぜこのスタイルに至ったのか。
複雑に作ってしまうと、鳳鳴さんという人間からどんどん離れてしまう。彼女ではない「事件」、もしくは「物語」に関する映画になる。スタイルを変え、いろいろなものを用いると、叙述の対象が本人ではなく物語そのものになってしまう。カメラでいろいろと構成すると、結局カメラが「鳳鳴さんではない、新しい別の誰か」を構成してしまう。
「ある七十代の女性が変化ある生活を送り、何が起こったのか」を描くのではなく、「現在の彼女がどう考え、当時をどうとらえているか」。私はできごとと彼女自身の考え方の両方をとらえたかった。私は彼女の人生の目撃証人ではない。なる資格もない。自分の生活の目撃証人になれるのは彼女だけ。だから、彼女が人生についての感情を語り、私が記録すれば充分だ。当時の写真などを入れ、事件の真相を証明する必要はないと思った。
彼女のような人々の歴史を、どう未来に伝え、理解してもらうことができるか。手段はいくつかある。文学、写真、映画、資料としての文献。私にとって文献はただの資料で、単にできごとの信憑性を追及するためのもの。具体的にいえば、感情がまったく込められていない情報をファイリングし、歴史を証明、研究しようとする。私はそれより、彼女自身が経験から何を感じ、どう考えるかが本当の真実ではないかと考えている。彼女の感受性、同じような経験をした人たちの考え方が、彼らの経験した時代と現在の架け橋になり得ると思うからだ。彼らの心を知ることが、時代を知ることになる。だから、歴史を知るには文献より、一人ひとりの考えのほうが大事だと思う。
── 時々挿入される表情のアップを除いて、語りに熱を帯びた時でさえ、カメラが決して彼女に近づかない。
感情が高ぶる時、ズームするのは間違いだと思う。すでにレンズの向こうの人の感情は高ぶっている。さらにズームアップしたら、観客が「話を聞く」妨げになる。スクリーンで観る時、アップの映像は情報を無駄遣いしている。カメラが引くことで豊かな感覚が生まれる。広い空間では、沈黙こそが力を持つ。逆にカメラが近づくほど叙述性が強くなる。映画は時間と空間の芸術で、文学ではない。目に入らないところで人の心に入るものを、時間と空間はたくさん作れる。
たとえば「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」の冒頭、ある女性がどこかへ歩いている。だんだん薄暗くなってきた午後の昼下がり、何かを語るわけでもなく、高齢で少し縮こまり始めた体で、誰もいない路地をてくてく歩いていく。ここからすでに物語は始まっていて、玄関にたどり着くまでの暗さが観る者に不安を与える。いったい何についての、どんな物語が展開されるのかと。 やがて暗い中でドアの音がして、彼女は家に着く。空っぽな感じを与える一人暮らしの暗い室内に、多くの時間を割いた。彼女の語りが始まる前の長い時間、観客に心理的な暗示をかけ、映画の方向性を教えている。
──日が暮れ、鳳鳴さんの姿が見づらいほど部屋が暗くなっていく。このシーンの意図は。
彼女の家は以前からよく知っていて、暗い部屋だと思っていた。家の向かい側には山があり、光が入ってこないから陰鬱な感じがある。また彼女は毎日、人の死について語ったり考えたりしていて、普通の人との交流も少ない。そんな環境で彼女と座って話していると、二人の人間が語っているというより、まるで二つの魂が会話しているように感じる。
彼女が最初に語り始めたのは、午後のまだ日があるころだった。やがて日が暮れて室内がとても暗くなり、彼女の顔がよく見えなくなってしまった。けれども静かな、密閉された安全な空間で語り合うことが、あまりにも美しいと感じた。電気をつけたり、カメラを操作して、部屋を明るく見せたりしたくなかった。
映画館の大きなスクリーンで見ると、暗くなっていく自然光の変化、暗闇が醸し出す静けさの魅力を感じてもらえると思う。それは映画の中での観客との交流でもある。観客はずっと彼女の話に耳を傾けることで感情も強くなり、暗闇の中、もっと女性をはっきり見たい、と感じるだろう。どんな要素にも邪魔されず、ただ会話を楽しむ時、会話は人間の考えをとても明確にしてくれる。暗闇の中で視覚的な影響は最小限に抑制され、ただそこにある人間の声にまかせて、過去の物語に運ばれていくことできる。
──終盤は鳳鳴さんがひとり座る部屋の向こうに、彼女以外の多くの魂を感じた。
最後のシーン。彼女が暗い部屋に一人小さな体でぽつんと座っていると、一本の電話がかかってくる。彼女と同じ経験の持ち主からで、過去のことについて語る電話だ。この情景こそ、彼女の生活そのもの。数十年前のことは、彼女の頭の中で今の生活そのもの。だから、とてもよく彼女の生活の本質を描き出せたシーンだと思う。
──生活すべてで経験を書き続ける鳳鳴さんと出会い、彼女の映画を作る過程で、監督は自身の映画製作をどう考えたか。
どの映画を作る時も、いろいろと考える。しかし、映像作家としてのライフスタイルはずっと変わっていない。映画を作り上げるごとに、自分の世界についての考え方が変化していく。
王兵(ワン・ビン) 1967年生まれ。92年、魯迅美術学院で写真を専攻。95年、北京電影学院撮影学科入学。長編第1作「鉄西区」は、2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭最高賞のロバート&フラハティ賞をはじめ、世界の様々な映画祭で各賞を受賞。「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」は2作目。
編集部注:2007年の山形国際ドキュメンタリー映画祭「デイリー・ニュース」掲載記事を補足・再構成しました。
関連サイト:
「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2008」 公式サイト
山形国際ドキュメンタリー映画祭 公式サイト
「鉄西区」作品解説(同サイトより)
特集 山形国際ドキュメンタリー映画祭2007@JanJan